おはなし
戦争と子ども
~富山県における学童集団疎開について~
お話する人 須山盛彰 さん
1935年富山市呉羽町生まれ。38年間に亘り中学校と高校で社会科教育に努め、その間、富山の歴史研究にも尽力されています。
2014年8月「富山県における学童集団疎開~戦争、子ども、地域と地域の観点から~」を上梓。(富山東高校の校長でした)
会場 富山市花木体育センター第1研修室
参加費 500円
(参加申込方法などの詳細は左の画像をクリック。案内チラシ・PDFが表示あるいはダウンロードされます)
「学童集団疎開」は、国民を巻き込む戦争の落とし子たった。今も日本に世界に、故郷から「疎開」しなければならない人々がいる...
疎開児童は「皇国少年、皇国少女」を目指せと励まされる中で、疎開生活のうちでの飢餓、病気、いじめ、不衛生、その他どんなにひどい状況があっても「我慢」、「勝つまでは」と、ひたすら堪え忍ぶことが強いられ、何か問題が生じても外に対して秘匿されたことは想像に難くない。
学童集団疎開は、第二次世界大戦における年少者に対する戦時施策であり、彼らはもっとも年少な戦争犠牲者とも言われている。さらに受け入れた地元の子どもたちに与えた影響も少なくないとされるし、受け入れ寺院や旅館、個人宅の人々、国民学校、町や村での担当者など関係した人々の苦労も並大抵ではなかった。それらについても、歴史としての記録は十分ではない...(著書まえがきより)
田中 彰
【半世紀ぶりの聴講】
東高校時代の恩師、須山先生の話を聴く機会があるということで思い切って出掛けてきた。我々5回生は昭和44年(1969年)卒業で47年の歳月が経過している。須山先生には地理の授業を受けており、それは1年時であったと思う。なんと半世紀が経過したことになる。
満81歳になられたとのこと、しかし髪も黒々穏やかで静かな語り口は
50年前と全く変わらない。
定年退職されてから、ライフワークの一つとして10年間余り「学童疎開」を研究されているらしい。
先生の主張はズバリ、学童疎開させられた子供達が戦争の大きな犠牲者でなかっかたかということ。勿論230万人の軍人、80万人の一般国民の命が奪われ、そのうえ国富の3分の1が失われた事実は忘れてはならない。
終戦の直前約1年半の間に、東京の渋谷区・大田区・品川区の国民学校生約15000人が富山県に「学童疎開」してきたらしい。大きな理由は、激しくなった空襲を避けるためであった。しかし富山は東京より多少食糧事情は良かったものの、いわゆる「いじめ」や慣れない生活環境で多くの「疎開児童」は富山に良い印象を持っていないという。この辺の事情は柏原兵三の「長い道」や藤子不二雄Aの漫画「少年時代」に克明に描かれている。
結論、須山先生は憲法9条を遵守して二度と「学童疎開」が必要な状況を作り出してはいけない、そう主張しておられると思った。
最後に先生のまとめ上げられた「学童疎開」に関する書籍は現在アマゾンで電子書籍化が検討されているとのこと。先生は研究者としても有名で「須山盛彰」で検索すると詳しくしることができる。