朝の3時に目覚ましを鳴らし、4時前には白山ICで北陸道に乗った。高野山に着いたのは10時半頃だ。朝食や休憩で何度か車を止めたが、約6時間半かかった。やはり高野山までは遠い。
政府が地方創生でバラまいた「ふるさと割」2万5千円をゲットして宿泊費に当てた。(蛇足だけれども、今年度はふるさと割で観光地が賑わったと思う。でも、ふるさと割が無くなったら人出は落ち込むと思う。こういった政策を、その場限りのバラマキ政策というのだろう。そもそも、なんで「ふるさと割」が地方創生に繋がるのか、そのロジックが良くわからない。)
宿は宿坊にした。高野山には宿坊が多い、と云うより、宿坊しかないと言ってよさそうだ。今回の宿は、鎌倉時代の雰囲気のある金剛三昧院にした。
金剛三昧院は、尼将軍 北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立しました。高野山のメインストリート「小田原通り」から、ひと筋奥まった、静かな環境にある宿坊寺院です。本尊の愛染明王(あいぜんみょうおう)は、恋愛成就の仏様として、様々な縁を結んでくれるといわれています。また、国宝・多宝塔をはじめ、重要文化財の経蔵、四所明神社など、数々の歴史的文化財を擁しており、高野山の世界遺産登録にあたっては、根幹となる寺院として重要な役割を果たしました。高野山の中でも、いにしえの面影を色濃く残した名刹であり、鎌倉時代の風雅をそのままに伝える格別な雰囲気をたたえています。(金剛三昧院のHPから)
夕食は17時半からと少し早めで、精進料理だ。ビールと日本酒の熱燗を付けてもらった。翌朝は6時に起きて6時半からの30分間の朝のおつとめにも参加した。金剛三昧院は真言宗と我が家と宗派は違うが気にしない。焼香も浄土真宗大谷派の作法でした。
金剛三昧院のご本尊は愛染明王で、ご本尊の両脇に源頼朝と北条政子の位牌が置かれていた。鎌倉時代からのものとのことだった。
愛染明王
当院の本尊、愛染明王(あいぜんみょうおう)像は、鎌倉幕府を開いた源頼朝公が亡くなった際、正室の北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏(ざぞうねんじぶつ・今日の愛染明王像)として作成された、当院建立の原点となるものです。(金剛三昧院のHPから引用)
金森