曹洞宗の寺院、山号は諸岳山。能登門前に総持寺祖院(そうじじそいん)がある。
元は諸岳寺(もろおかじ)と呼ばれた行基創建と伝えられる密教系寺院(一説には真言宗)。
1321年(元亨元年)に当時の住持である定賢が霊夢を見て越中国永光寺にいた瑩山紹瑾に寺を譲った。瑩山紹瑾はこれを禅林として改め、総持寺と命名して開山となった。
翌年、瑩山紹瑾は後醍醐天皇よりの勅問10問に答えた褒賞として、同寺に「日本曹洞賜紫出世之道場」の寺額が授けられたとするが、伝説の域を出ないと言われている。
1324年(正中元年)、瑩山紹瑾は「諸岳山十条之亀鏡」を定めて寺制を整えた。その後、寺を継承した峨山韶磧によって整備され、五哲と呼ばれた門人によって5ヶ所の子院が設けられた。曹洞宗の多くの寺院が同寺の系統をひき、本山の地位や諸権利を巡って越前国永平寺と論争を行うこともあったものの、「能登国の大本山」すなわち能山として親しまれた。
(ウィキペディアから引用)
引用した中に「越中国永光寺」とあるが、石川県羽咋市の「永光寺」を指しており能登国が越中国の一部だった頃のことと思われる。(先の記事 越中国の遍歴 を参照に)
1898年(明治31年)4月13日の大火で開山廟所である伝燈院経蔵といくつかの小施設を除いて焼失。1905年(明治38年)再建されたが、1911年(明治44年)に横浜鶴見への移転遷祖された。以降、横浜鶴見の総持寺が大本山となり、能登の總持寺は「總持寺祖院」と呼ばれるようになった。
平成19年(2007年)能登半島地震で、総持寺祖院も大きな被害を受けたが、震災から7年、平成26年3月に本堂や僧堂の修復が完成し、回廊などの修復が続けられている。
金森