市バスのバス停を清水道で降りた。「きよみずみち」と呼ぶ。
清水寺に行くには「五条坂」で降りるのがよさそうだが、寄りたい所もあって、あえて「清水道」で降りた。
清水道から脇道を五条坂に出る。清水寺には改修工事が終わってから寄ろうと思う。五条坂らか松原通を左手に三年坂を下りた。
この坂道は古都を感じさせる風情があり、京都を代表するお土産屋さんが軒を連ねている。
金森
富山県立富山東高等学校5回生親睦会
京都祗園の北側の白川に架かる橋が巽橋で「たつみばし」と云う。京都の観光パンフレットでもよく紹介されている京都を代表する町並みの一つだ。京都に来た時にはよく寄る場所の一つでもある。
巽橋の向かいには、祇園の舞妓さん、芸妓さんが芸事の上達を願って訪れるという辰己大明神がある。
この場所で舞妓風の化粧をした舞妓姿の女性が人力車に乗って観光している姿をよく見かける。また、新婚と思われるカップルが白川や巽橋を背景に、プロのカメラマンに写真を撮ってもらっている光景を目にすることも多い。
巽橋は観光名所の一つでもあり、祇園の町のひと達が大切にしている場所でもある。
雰囲気が、どことなく、金沢のひがし茶屋街に似ているように感じる。
巽橋から白川南通沿いを四条通に出て四条大橋を渡る時、鴨川下流五条方向を望んだ。そして「辰むら」で昼ごはんにした。
金森
宿は草津のホテルにして新快速でJR京都駅に出た。
JR京都駅は古都の玄関口。神社仏閣をモチーフにして古都をイメージしたデザインでもよさそうなものだ。しかし古都を連想するものはない。
京都のひと達は保守的というよりも、どちらかと言えば革新的だと思っている。
古いものを守り続けるということは革新的であり、古いものを衰退させないためには革新的でなければならないということだろう。
今月末にネットのポイントが消滅してしまう。それは勿体無いということで、京都を散策することにした。土日の宿は一杯なので平日に京都の宿坊を予約していた。
ところが天気予報が月曜日から崩れると変化してきた。雨では興醒めする。しかし京都では土曜日は車を無料で車を留めておける宿などはない。
草津のホテルに宿泊して電車で京都に行くことにした。草津から京都までは20分で行く。草津駅前にあるクサツエストピアホテルがツインで一泊四千円ちょっとで予約できた。チェックインしたらデラックスツインに空きができたということで無料で変更してくれた。車の駐車も終日無料だった。
京都四条大橋を河原町通方向へ四条通を歩く。先斗町(ぽんとちょう)通を右手に見て、高瀬川を超えた辺りで左手の路地に入る。
路地を少し歩くと突き当りに京漬物で有名な村上重本店がある。
村上重を左に回り込むように細い路地が続く。左に回り込んで直ぐの右手に料理屋の「辰むら」がある。気にかけて歩かないと通り過ぎてしまう。実は事前にネットで調べていた。
それにしてもネットがなければ一見さんで「辰むら」のような小料理には入れない。いくら取られるか分からないし相手にしてくれるかも分からない。
予約はしていなかったが、大将が客を見送っていたのに出会った。昼時も過ぎていたのでひょっとしらたと思い覗いてみた。幸いカウンター席が空いていた。
大将は京都の何処かの料理屋で修行したのだと思う。上品でいい味を出している。機会があつたら、夜に一杯やっても良さそうな小粋な小料理屋だ。
食事が終わったら、大将が見送ってくれた。
金森
安倍晋三首相が言う「積極的平和主義」は、国民を戦争へといざなう。
世界に武器を売り歩き、日本は米国の肩代わりをします
安倍晋三自民党の言う「積極的平和主義」とは、まさに「積極的戦争主義」と言うべきだろう。
金森
1月20日のCNNは
世界の人口の1%の富裕層がもつ資産の総額が来年までに、残る99%の資産を合わせた額と同程度になるという推計が発表された
と報道している。(CNNの記事)
この推計によれば、5年後の2020年には1%の富裕層の富と、99%の民の富が逆転する。そして益々と貧富の差が開いていくことになるだろう。
これが新自由主義経済社会の姿と言える。
安倍晋三自民党が進めるアベノミクスは、この新自由主義経済社会を目指している。「富める者をより富ます。そうすれば、富める者のコップから溢れたお金が社会にこぼれ落ちて景気を良くする」という考え方だ。
次の図は各国の雇用者報酬の推移だ。
見て分かるように、日本だけが賃金が低下している。格差が拡大しているという米国ですら賃金が上がっているにも関わらずである。
われわれの年金も減額されていく。これがアベノミクスの実態ではないだろうか。日本の大手マスコミは安倍晋三自民党の「この道しかない」を検証することもなくそのまま垂れ流している。国民といえば大手マスコミの報道で、漠然と「自分も1%の仲間入りができるだろう」と考えているようである。
5年後には二極化した貧困層にいることに気付いて唖然とするだろう。その時気付いても遅いと思うのだが。
金森
最近、訃報を耳にすることが多くなった気がする。そんな歳でもないのにといった人達の訃報だ。20日には柔道の斉藤仁さんが死去したとの報道があった。
ところで、一年程前にこのブログでも「今現在も東京は311原発事故による放射能災害の被災地と言えるのではないだろうか」という記事を書いた。この記事の中でも引用した総務省の「人口推計」最新版が以下のグラフだ。見ての通り福島原発事故で放射能が拡散し始めて以来、坂を転げ落ちるように日本の人口は減少してきている。
(グラフには総務省統計局のページへのリンクが貼ってあります)
もちろん、この人口減少と原発事故が関係あるかどうかは分からない。ただ、関係は無いという積極的な理由も発表されていない。関係あると推定するのが至極自然な事と思っている。
未だに放射能汚染水は海洋や大気中に放出され続けている。それにもかかわらず、安倍晋三首相自民党は経済のために原発再稼働は致し方ない「この道しかない」と言う。
ただ、原発再稼働の賛否の話は長くなるので横に置くとして・・・・
自分が身を守るために今できることはないかと考えた時、放射能に汚染されている危険のあるものは口にしない。放射能に汚染されている地域には行かない。何がどれくらい放射能に汚染されているかの発表はない。放射能に汚染されている地域が産地の物は口にしないのが身のためと思っている。
「食べて応援」などはもっての外だ。
不用意に放射性物質を体内に取り込まないようにしたいと思っている。マックの異物混入の話どころではない。
金森
1995年(平成7年)から、自宅での親の介護が始まった。もう20年になる。
親父を自宅で10年間介護した。親父が亡くなって1年もしない内に、義母を自宅で介護することになった。今までの20年間で親を自宅で介護していなかったのは一年弱ということになる。
親父は帯状疱疹を患ってから介護度5で寝たきり状態となった。自宅に介護用ベットを借りて介護を続けた。ベットの隣で仕事をする日々が続いた。
どんなに介護しても、親の状態は終末に向かって徐々に悪くなっていくものだ。病気での入退院を繰り返すと、入退院の度に状態は悪くなっていく。
親を介護していると、何時までこうっいた生活が続くのか分からない。出口の見えないトンネルの中を歩いているようで、明日を見通せないのが一番に辛い。
子供の看病であれば、退院すれば元気になるという希望が持てる。一方、親の介護の場合は、退院してからの介護の方が、入院する前よりも大変になることの方が多い。
また、介護している親が退院したとしても、入退院の度に状態は悪くなって行くものだ。そして自宅での介護は大変になっていく。家族の予定は、親の介護に左右されるようになっていく。
20年間よく続けてこれたものだと思う。妻がよくやってくれたと感謝しかない。
義母の介護度は3だ。多分、今回のことで介護度は4とか5になるのではないだろうか。義母の主治医の先生からは「認知症で寝たきりになると、7年だね」と言われた。担当のソーシャルワーカーからは「退院しても自宅で介護を続けることは無理だと思う。退院して直ぐに自宅に返すことはしない。相談しましょう」と言われている。
まだまだ介護は続く。しかし、主治医とソーシャルワーカーの話を聞いて、親父を介護してきた経験から、これからどう過ごすかの想像できるようになってきた。妻とも「20年はやっぱり長かったね」と、そんな話ができるようになってきた。
金森
終戦直前に父親と生き別れになった女性は、戦争への道をひた走る安倍政権の姿勢を「絶対に許せない」と話した。=17日、国会議事堂前 写真:筆者=
「殺し、殺される戦争に夫や子供を行かせたくない」。軍国主義に突き進む安倍政権に女たちの怒りが爆発した。集団的自衛権の行使容認に反対する女性たちが、きょう、国会を包囲した。(主催:「女の平和」実行委員会)
安倍政権は4月の統一地方選が終われば、集団的自衛権行使のための関連法案を国会に提出する。可決成立はほぼ確実だ。維新をうまく抱き込めば改憲発議も現実味を帯びてくる。
国会周辺は危機感を募らせる女性たちで一杯になった。議事堂を包囲したヒューマンチェーンは、所々が2重3重になるほどだった。
議事堂正門前にしつらえられたステージでは、音楽評論家の湯川れい子さんらがスピーチした。
湯川さんは18歳年上の兄をフィリピンの戦線で失っている。父も戦病死した。
「日本が憲法9条を守り戦争をしなかったから、幸せに音楽を作り暮らして来られた。人間は人間が生んだ子供を殺してはならない」。湯川さんはよく通る声で訴えた。
国会議事堂を取り巻いた人間の鎖は2重3重になって長く続いた。=17日、永田町 写真:筆者=
『女は戦争を望まない!』と書いたプラカードを手に参加した女性(写真上段・70歳)は、旧満州のハルビンで終戦を迎えた。父親は終戦直前、根こそぎ動員で徴兵された、という。
「父はどこでどう死んだのかも分からない。戦後70年というけど私の中では戦争はまだ終わっていない。この悲劇を日本だけでなく世界のどこの国でも繰り返したくない」。女性の言葉には重みがあった。
子供を連れた母親の姿も目についた。栃木県から参加した母親(30代)は、息子2人(6歳と3歳)の手を引いていた。
「(子供が戦争に行くようになったら)絶対こまる。そうならないために今日訴えに来た」。母親は切々と語った。
女性たちは赤色のマフラー、帽子などを身につけて参加した。国防色と言われるカーキ色の向こうを張る自由の色でもある。国会周辺は赤で埋め尽くされた。
洋の東西を問わず女を敵に回した政権は長持ちしない。アベシンゾーを退陣に追い込むのは、女たちの怒りではないだろうか。
金森
以前、このブログで「政府のポチと化した一流紙」という記事を書いた。これに通じるものがあると思い転載して紹介する。
「孫崎享のつぶやき」から引用
http://ch.nicovideo.jp/magosaki
今日、日本の政治をおかしくしている最大の要因はマスメディアの権力に対する隷属である。
国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF)が2014年、「報道の自由」の国際比較で前年の五十三位から五十九位になったと報じた。2014年下落した最大の理由は原発関連で必要な報道がほとんどなされていない事、そして秘密保護法である。
「報道の自由」度が五十九位になったという事は、そこまで日本の民主主義が侵されていることを意味する。
日本のリベラル層もこの点に対し、異論は挟まない。「そうだろう」と納得する。
問題はここからである。
日本の大手マスコミが酷ければ、当然、代替のニュース源を認めなければならない。それが今日、ソーシャル・メディアである。
中東、ロシア、中国等その国の新聞、テレビが信用できない国に於いては、ソーシャル・メディアが発達している、これが抗議運動の起爆剤になっている。
日本はどうであろうか。
ソーシャル・メディアはネトウヨの武器となっている。
安倍首相などの武器となっている。
対して、リベラル層の利用は本当に低い。
講演で聞いてもツイッターの利用者は5%にも達しない。
ツイッターは情報入手だけではなくて、リツイートの形で、情報拡散に積極的に関与する、
今、我々は民主主義を与えられたものとして維持するという姿勢以上に、積極的に守る姿勢が必要だ。その基礎は情報にある。
そうであれば、リベラル層はソーシャル・メディアの活用を行い、積極的に民主主義の保持に努力をすべきだ。日本のリベラル層の弱点は「自分が正しければよい」としている事である。「連帯してこの流れを止めなければならない」との意識が薄弱である。
金森
世話人への連絡 higashi5@ofours.com へ
ブログ記事を募集しています。ブログに載せたい記事を連絡先にメールして下さい。写真が添付されていれば適当に画像処理して掲載します。みなさんからの投稿を楽しみにしています