小説「蛇くひ」 漱石に影響与えた?
富山大橋の手前を神通川に沿って松川が流れている。その松川の堤(磯部)が富山市の桜の名所で、堤の道を少し歩くと、「一本榎(えのき)」がある。
戦国武将佐々成政が側女の早百合姫と一族を殺し、姫の怨念を宿す黒百合で自滅した黒百合伝説発祥の地である。この地は泉鏡花の『蛇くひ』(明治三十一年)『鎧(よろい)』(大正十四年)の小説舞台でもある。
十六歳の鏡花は明治二十二年六月に一人で富山を訪れ、三カ月余り滞在し、国文・英語の補習講座を開いた。その滞在中の体験を基に前記の作品と『黒百合』(明治三十二年)『星女郎(じょろう)』(明治四十一年)を書いたらしい。いずれも奇怪な物語で、富山に対して抱いた鏡花の印象が興味深い。
『蛇くひ』は『両頭蛇(りょうとうだ)』が元の題名で、明治二十六年ごろに作られたとされており、鏡花の現存する作品の中では最も古い。
神通川畔の成政の別邸跡の一本榎付近に異様な集団がたむろし、町に出掛けては数多の店先で物乞いをし、それを拒むと持参した蛇をかじっては吐き出して強請(ゆす)る。彼らは悪食を好み、特に蛇飯(蛇肉を混ぜた飯)を好む。やがて彼らの偉大な頭目が出現するとのうわさが流れ、町中恐れおののくという話である。この話は、鏡花が富山滞在中に神通川が氾濫して米価が上がり、怒った貧民が富家を襲ったのを題材にしたという。
=富山市磯部で
この話での「生きた蛇と米を釜に入れ、穴の開いた籠をかぶせて炊き、苦しくて頭を出す蛇を掴(つか)んで背骨を引き抜き、肉と米を煮て食べる」の蛇飯の場面が刺激的で、夏目漱石の『吾輩(わがはい)は猫である』(明治三十八年)の迷亭君が蛇飯を食べる場面に似ている。これは日頃より鏡花を意識していた漱石が『蛇くひ』から取り込んだのだろう。
だが、江戸期の荻生徂徠(おぎゅうそらい)の随筆にも同様の話があり、鏡花の創作だとは言い切れない。また、鏡花愛読の『絵本太閤記』に、成政の早百合姫の虐殺、豊臣(羽柴)秀吉軍と神通川堤で対峙(たいじ)した成政軍に姫の怨念を宿す鬼の一群が来襲し、黒百合に関わって成政が自害した事なども書いてあり、一本榎にたむろして町を脅かす異様な集団は、この鬼達からヒントを得たのかもしれない。鏡花は黒百合伝説によほど関心があったのだろう。
さらに黒百合伝説を題材にして三島由紀夫が浪漫主義の傑作と絶賛した『黒百合』がある。この作品では一本榎は街中にあり、富山市内の総曲輪、四十物町、旅籠町などが舞台になっている。
花売り娘の雪は恋人・拓の目の治療費欲しさに知事令嬢の求める黒百合を魔所の岩瀧(いわたき)に採りに行く。その後を泥棒華族・滝太郎が追い、雪は彼と共に黒百合を手に入れるのだが、魔所の禁忌を破り、大洪水が生じて富山市は全滅し、雪も命を落とす。これも『蛇くひ』と同様に背後に神通川の氾濫がある。安政の大鳶崩れの土石流の襲来も重なっているようだ。岩瀧は上市町大岩以奥の立山を想定しているらしい。
後に盗賊団の頭目になる滝太郎と拓は共に眼に特徴があり、『蛇くひ』で出現がうわさされる異様な集団の頭目も眼に特徴があって原題『両頭蛇』の「両頭」が両頭目としての滝太郎、拓を暗示しているようで興味深い。それに富山市円隆寺の「さんさい踊唄」が両作品の筋展開に重要な役割を果たしていて、両作品は別々のようだが、もともとは深くつながっていたのかもしれない。神通川畔の一本榎にたむろした異様な集団が特徴的な眼を持つ二人の頭目に率いられて大盗賊団になり、早百合姫の怨念が明治に蘇(よみがえ)り、成政ゆかりの富山市を全滅に導くと想像するのも面白い。
鏡花は自らの富山体験と富山の口碑、伝説、民俗などから得たさまざまなものを絡み合わせて物語化している。それは次回に触れる『鎧』『星女郎』にも表れている。
立野幸雄
泉鏡花(一八七三?一九三九年)が富山を題材にした作品を研究している富山県射水市の大島絵本館の立野幸雄館長が、高志の国文学館(富山市舟橋南町)で十二月二十三日まで開かれている企画展「川の文学?うつりゆく富山の歴史の中で」に合わせて、本紙に寄稿した。『蛇くひ』『鎧』などの作品を二回にわたって紹介する。立野さんは「神通川の怪異?泉鏡花」と題して十二月十三日午後二時から高志の国文学館で講演する。参加無料だが、申し込みは必要。問い合わせ、申し込みは高志の国文学館=電076(431)5492=へ。
黒百合伝説 1584年に羽柴秀吉と対抗するため、徳川家康に援軍を求めて北アルプス越え(さらさら越え)をした佐々成政と、側室早百合の愛憎を伝える。家康を説得できず富山に戻った成政が、近習と不義したといううわさから、早百合を一族とともに一本榎の下で切ったと伝承されている。無実を訴え続けていた早百合は「立山に黒百合が咲くころに、あなたを滅ぼしましょう」と呪って息絶えたという。成政の後、富山を治めた前田氏が後年、広めたともいわれている。