金沢の広見

金沢の町には「広見」と言われる小さな広場のような場所がいくつかある。広見は幕政時代に設けられた。伏兵を配置するための戦略的場所、荷車などの回転場所、火消しの結集地、藩の高札や辻説法の場所などとして利用されていたようだ。

寺町には六斗広見があり、幕府の巡見使を金沢に迎える儀式を行うのにも使われていたとのことだ。

下の写真はひがし茶屋街入り口の広見だ。蛇足だけど、写真正面の浅田屋がやっている蛍家は平成26年3月15日をもって閉店とのことだ。

金森

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このページは、ofoursが2014年3月15日 07:00に書いた記事です。

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