親の介護

父と母は長らく呉羽で二人で暮らしていた。私たちは横浜から戻り、野々市に家を建て住んでいた。母は72歳の時に大動脈瘤が破裂して突然亡くなった。それから父には野々市に来てもらって一緒に暮らしていた。父は80歳になる頃から寝たきり状態での介護が必要になり、82歳で亡くなった。家に介護用ベットを入れて父を介護しながら暮らした。概ね10年間父を介護しながらの暮らしが続いた。妻にはずいぶんと世話を掛けた。

介護には結構手がかかるものだ。下の始末など体力的に辛いと思ったことはなかった。しかし、いつまで介護を続けないといけないのか、出口が見通せず暗い気持ちになっていたのを思い出す。

介護すれば体力が回復して動けるようになるわけではない。段々と体力が衰え認知症も進んでいくのを見ているしかない。そんな作業が介護だ。

父か逝ってから一年も経たない内に、富山に住んでいた義母の様子が可笑しいのに気付き、野々市に来てもらうことにした。以来、介護しながら一緒に暮らしている。今年で88歳米寿、寝たきりにはなっていないが認知症もだいぶ進んでいる。一緒に暮らし始めてそろそろ8年になる。

妻と一緒に親の介護はまだまだ続きそうだ。

金森

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このページは、ofoursが2013年11月12日 17:09に書いた記事です。

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