『洛外八瀬奇譚』(二)

◆その壱・悪い癖

 お招きいただき、ありがとうございます。私、学生の頃、友人の前田と共にこの八瀬から少し下った上高野で下宿いたしておりました。久しぶりにこの地を訪れましたが、今日はあいにくの雨で比叡の山は見えませんが、昔と少しも変わらぬ風情で、全てがつい昨日のような気がいたします。あの頃は色々なことがありました。そうそう話でございますね。昔の思い出に浸っていて忘れるところでございました。それではお話することにいたしましょう。
 あれは前田の葬式で十年ぶりに彩子あやこに逢った時のことでした。前田とは先ほどお話しました学生時代に一緒に下宿していた友人のことです。その前田の葬式で彩子に逢った時、妙な不安に囚とらわれたものです。ですが、彩子の喪服姿の艶なまめかしさに見惚みほれてしまい、思わず彩子に声を掛けてしまったのです。それが始まりでした。ともかく気の入った女へ声を掛けると、いつもの私の悪い癖で、その女の肌に触れなければ気がすまなくなり、別の所で二人だけでもう一度逢ってほしいとしつこく言い寄ったのです。
 彩子は、その頃、三十歳を幾つか越えていたはずでしたが、昔と変わらぬ肌理細きめこまやかな肌で、その肌に更にしっとりと潤うるおいが加わって、まさに油が乗りきった、今が盛りの女の艶つやっぽさが全身から滲み出ていました。小娘だった昔とは違い、彩子は見違えるほどに成熟した魅惑的な女になっていたのです。そんな彩子に私はしつこく言い寄りました。   
 彩子は、私の誘いに最初のうちは目を伏せてなかなか応じようとはしませんでした。ですが、その恥じらいながらも焦らす姿態したいがまた艶かしく、喪服の下の柔らかな白い裸身が自ずと思い浮かんで、その体を貪りたい一心で私はかなり強引に彩子に迫ったのです。
 それが功を奏したのでしょうか、しばらくすると、彩子は逢う時の条件を幾つかポツリポツリと言いだしました。その時の喜び……。嫌がる女をかき口説き、納得させて我が意の如くに従わせることほど、この世で最高に嬉しいことはございません。まして相手が生唾を呑み込むほどの佳い女であるなら尚更のことです。
 しかし、妙なことに、逢うのを承諾してからの彩子は、拒んでいた時とは打って変わり、目に媚こびさえ浮かべ、私の顔を意味ありげにまじまじと見つめるのです。その目の妖しい光を見た瞬間、再び言い知れぬ不安に囚われたのですが、喪服に映える彩子の白い肌を見るにつけ、不安よりもその体に食指が動き、彩子におもねるように、彼女の言うがままに、あの思い出深い桜の樹の下で、それも深夜に逢う約束をしてしまったのです。
 ところで、死んだ前田のことですが、彼は若い頃から無類の女好きでして、それが祟たたってか、彩子と再会した三日前に若い女との情事の最中、四十歳半ばで女の腹の上で心臓が止まってしまったのです。相手の女は自分の医院の若い看護師だとかで、その死に様があまりにも前田らしいので、彼の死をそれほど悼む気も起こりませんでしたが、葬式の最中に、死者のことも忘れ、参列した彩子の喪服姿ばかりに見惚れて、その女との昔の情事を思い出し、一人、悦に入っている自分のことを思うと、自分が前田以上の好色のようで、我ながら呆れてしまいます。
 前田と私は、北陸の同じ高校から京都の医大へ進み、大学病院での研修を終えてから共に故郷へ帰り、県西部の田舎の病院勤めをしばらくした後に互いに整形外科の医院を開きました。また、彼とは、
若い頃から連れ立って女遊びをした仲でもあり、未だにその女癖の悪さはなおってはおりません。そのせいか、二人とも離婚を重ねた後も、それをよいことに独り身の気軽さから互いに悪ふざけの女遊びを続けておりました。悪友と言えば、互いが悪友でございます。
 その前田の葬式に彩子が参列したところをみると、前田と彩子との間にも何か深い関係があったのかもしれませんが、そんなことはどうでもよく、その時はただただ彩子の熟れた体を味わいたい一念で彼女と密会の約束を交わしたのです。交わした後は葬式には不釣り合いなほどの嬉々とした気分に満たされ、満足の笑みを必死に押し隠して読経を聞いておりました。
 しかし、彩子と逢う場所が、あの桜の樹の下だということが、今一つ気に掛かっておりました。桜の樹といっても、街内の桜ではありませんで、彼女と車で山道を乗り回していた折りにたまたま見つけた、取り分け大きな桜の樹でして、人里から遠く離れた谷川沿いの林の中で人知れず満開の桜を咲かせておりました。
 当時、彩子は、私が勤めていた病院の看護師で、看護学校を出たばかりの娘々とした子でした。その彩子をあの桜の樹の下へ誘っては、そこで異常な興奮に駆られて幾度となく彼女を抱いたのです。
 異常な興奮と言いましても、彩子の体に夢中になったという意味ではありません。まして彩子にとっては私が初めての男らしく、年若い処女の体とは概してそうなのでしょうが、肉が薄くて硬く、それに性技にも疎くて反応が鈍く、情事を楽しむ相手としてはまったく旨味のない未熟な体でした。ですから、彩子の体自体には何ら魅力はありませんでしたが、それよりも、私には昔から桜の花に対して奇妙な性癖がありまして、満開の桜の花の下に立つと、どういうものか、決まって狂おしいほどの女への飢えが生じ、それこそ異常に発情して女の体にのめり込んでしまうのです。満開の桜の樹の下で彩子を抱いていた時も、彼女の白い胸乳むなちの上に乳首ちくびと同じ色の桜の花びらがチラホラと舞い落ち、むせかえるような桜の香で頭が痺れ、全身が狂おしいほどの興奮に貫かれて急き立てられるように欲情を幾度となく彩子の体の奥底へと注ぎ込んだのです。
 そんな彩子との関係は二ヵ月ほど続きましたでしょうか。その頃に、隣町の大病院の院長の一人娘との縁談話が持ち上がり、その結構づくめの縁談をまとめようと、これまでの女とのことを清算しようと思い立ちました。実は、その頃、彩子とは別にモデルくずれのクラブのホステスとも深い仲になっておりまして、これがまたなかなか佳い女でして、いざ清算しようとすると、どうにもそのホステスの体に未練が残りまして、ホステスとの関係はそのままにして、飽きがきている彩子を先ず棄てたのです。彩子とのことは、熟した林檎りんごの味に食傷しょくしょう気味の時に、たまには口直しに青林檎でも噛ってみようと思った程度のものでして、直ぐにでも棄てるつもりが、二カ月も続いたのですから却って不思議なほどです。ですので、あの時、何の未練もなく彩子を紙くずのようにポイと棄てました。
 そう言えば、彩子との別れ際、彩子は泣き叫びながら私に何か必死に訴えていましたが、気紛れの摘み食い程度で弄んだ小娘の言うことなど、初めから真剣に聞く気もしませんで、前田の葬式で会う
まで、彼女のことなど、すっかり忘れておりました。その後まもなく私の身持ちの悪さが相手にも伝わり、縁談は断ち消えとなり、また、しばらくしてホステスの体にも飽きがきたので新しい女を探していると、彩子が発狂し、専門の病院に入れられたという噂を聞きました。ですが、棄てた女のことなどはどうでもよく、それよりも前田と競い合うように女を漁あさっておりました。 それにしても、あの青林檎のような彩子がこんなにも熟して美味そうな女になろうとは…。まったく女とは分からないものです。
 言い訳がましいことですが、医者をしていると妙なものでして、毎日、幾人もの体を切り刻み、また、何人もの死に臨んできますと〈恋〉とか〈愛〉とかの言葉が妙に白々しく聞こえてきます。男と女のことで〈恋〉とか〈愛〉とかと力説してみたところで、先ずは命ある〈体〉があってのことで〈体〉がなければ〈恋〉も〈愛〉も成り立ちはいたしません。そう思うと、人とは所詮〈体〉あってのものでして、ですから、その時々の〈体〉が求めるものが、その時々に人が一番必要としているもののように思えてくるのです。それを刹那的と非難する人もいるでしょうが、刹那的のどこが悪いのでしょうか。人の存在・生そのものが刹那的ではないでしょうか……。
 ともかく、私の場合、それが女で、自分の女癖の悪さを弁解しているようですが、女を漁る気持の根底の何処かしらに、このような思惑もあるようです。
 ですが、女もいい加減なものでして、私が独身の少し見映えの好い医者だというだけで、結婚や金銭面での打算が働くのかもしれませんが、保険をかけるようなつもりで私に容易く体を任せてくるのです。そんな女に出会う度に、ますます遊びだけで女と関わるようになりました。そして、その中の幾人かをあの桜の樹の下で抱き、棄てました。女などは、裸にして交わっていると、快楽などは最初の一時だけでして、後はどれも似たようなもので、これと言って目新しいものはなく、直ぐに飽きがきてしまいます。ですから、女とのその最中、いかに自分を興奮させるかが肝要でして、その点、満開の桜の樹の下で女を抱くと、否応なく異常な興奮に駆られますので極めて好都合でした。
 しかしながら、どうして桜の樹の下で異常に興奮するのかは我ながら不思議なことでして、よくよく考えてみますと、それは私が若い頃に桜の樹の下で味わった不快な出来事の幾つかに要因があるように思われます。
 …そうでした。あれは小学六年の春のことでした。

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この記事について

このページは、ofoursが2007年6月15日 07:54に書いた記事です。

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