坂を下り、韓屋保存地区を外れると、おしゃれなブティックや雑貨屋、カフェなどが軒を並べる路地に出た。フッと神戸、北野の異人館街を思い出した。
今では神戸の代表的な観光スポットとなっている北野であるが、私が大学生だった頃は異国情緒漂う住宅街で、観光客の姿を見かけることは殆んどなかった。北野が変わったのはNHKの朝の連続ドラマ「風見鶏の館」が放送されてからである。観光客が押し寄せ、異人館を核に北野の街が変わっていった。
北村の路地を歩いていて、神戸の北野と同じ現象がここでも起きたのかなと勝手に想像した。
路地を抜けると、国立民俗博物館前に出た。その隣が韓国最大の宮殿、景福宮である。どちらも休館。外から覗き込みながら、前を素通りした。
そろそろ、足の方も限界に来ていた。ホテルまで寄り道しなければ二十分程の道のりだった。私達は少し足を速め、ホテルへの帰り道を急ぐことにした。
寄り道はしないつもりだったが、寒さをしのぐために地下に降りると、ロッテデパートの入り口が眼に入った。暖かそうだし、ここを通り抜けて行こうと中に入る。
そこは、所謂、デパ地下だった。好奇心に疲れも忘れ、食料品のコーナーへ。日本にあるもの、ないもの、娘とワイワイ言いながら見学して回る。ちょっとした異文化体験だった。最後にお菓子コーナーに行って、韓国のお菓子を買い、ホテルの部屋に戻った頃には、日が暮れ、部屋の窓から見える街は夜の光に包まれていた。
久しぶりに歩いた足は、もう何処へも行かないと悲鳴を上げていた。今回の旅行はよく歩いた。何の予定も立てずに来た割には、盛りだくさんだった気がする。明日は朝寝坊して、ゆっくり帰ろう。今年のお正月休暇もあっと言う間だった。(おわり)
楽しい韓国旅行記、ありがとう。何を隠そう。私の海外初体験の国が韓国。今から約三十数年前。当時はまだ戒厳令がひかれていて、夜10時以降は外出禁止。そのため、お客さんとの夕食時間は早かった。そもそも私が韓国を訪れたきっかけは、入社して2年目にその会社の貿易部に異動となり、そこでまだやっていなかった国が韓国というだけの理由だった。当時の上司は、私に出張を命じた時に言われた言葉が、いまだに脳裏に焼きついている。”韓国人の食べる飯は、人間の食べるもんじゃない”なんてね。まだある年代以上の人達が韓国人に対して、強い偏見を持っていた時代のこと。愚かな自分は、その言葉を信じ、1週間の滞在期間中、まるまる3日間は、ジュース・コーヒー、コーラ、お酒以外は胃に収めなかったものである。さすがに4日目ともなると空腹で目の前が霞んでくるような状態になり、お客さんとお昼に入った食堂で、自分の知っている名前の食事(その時は、冷麺)を頼んで、一度にほおばり、噛み切れずにまるでゴムを噛んでいるような感じだった。三十数年前の愚かな思い出である。
強烈な体験ほど、後になって忘れられない思い出になるものですよね。実は、私、初めて韓国へ行った時のこと。ホテルに到着し、さて、観光に出掛けようとしたところで、ホテル内の小さな段差に足をとられて転倒、捻挫して大変な思いをしました。
でも、無理をして歩いていたら、南大門市場の革製品のお店の人がはれ上がった足を見て、安くて歩きやすい靴を買ってきてくれたり、タクシーの運転手さんがシップや包帯を買ってきてくれたり、おまけにそのタクシーの運転手さん、翌日、ソウルで評判だと言う針の治療院に連れて行ってくれ、そこで、また、看護婦さんや針の先生に優しくしてもらいました。
観光はほとんど出来ませんでしたが、反日感情云々にこちらが神経質になっていた時で、心温まる忘れられない思い出になりました。