昨日は、今年一番の快晴となった。こんな快晴は、冬の北陸地方ではめったにない。晴れたときでも山頂に雲が掛かっていることが多く、なかなか思うように立山連峰は見えない。
実は、氷見市のホームページにある遠隔操作ができるカメラで、リアルタイムに立山連峰を見ることができる。
早速、そのページにアクセスした。案の定、朝の内は、立山連峰には雲が掛かっていて、よく見えないようだった。しかし、昼近くになると、その雲も取れて、薄っすらと立山連峰が見えていた。
天気予報では、明日からまた天気は崩れるとのことである。今しかないと思い、カメラを取ってラパンを走らせた。山側環状道路で金沢森本ICに出て、北陸道を富山に向かう。
倶利伽羅峠 (くりからとうげ)を過ぎ、小矢部インターへのカーブを右に曲がったところで、立山連峰が目の前に迫ってきた。この分では、日本海越しの立山連峰も期待できるとワクワクしてくる。
小矢部ジャンクションから立山連峰を右手に見ながら、能越道を終点まで走って、氷見に向かった。
最初の写真は、「虻が島(あぶがしま)」越しに見る立山連峰、真ん中が「唐島」越しに見た立山連峰である。
虻が島越しの写真は、同じく写真を撮りにきていた老夫婦と、どちらからともなく、にっこりと挨拶をしながら、シャッタを押した。
唐島越しの写真を撮った帰りに、幼稚園児を引率する先生と「こんには。良い天気ですねぇ?」と挨拶を交わしながら車に戻った。園児たちは、「わぁ?、きれいだぁ?」とワイワイと私の傍を通り過ぎていった。
最後の写真は、雨晴(あまばらし)から見た立山連峰である。ここでも、地元のおじいさんに、「どう。よい写真撮れた?」「こんなに良く見える日は、めったに無いからねぇ?」と声を掛けられ、挨拶しながら、海越しの立山連峰にしばし見入った。
氷見から高岡に出て、能越道から北陸道を通って家路に着いた。車のステレオからずっと流れていた「一青窈(ひととよう)」の歌が、なぜか似合っていた。
私の勤務する学校は、一般に、あまり知られていませんがこぢんまりと「プロの調理人を育てる機関」(養成期間2年制)として15年の歴史を重ねています。高卒者のための公立の調理師養成所は全国に類を見ない学校です。
先週実施された今年度の卒業実技試験についてPRしたいと思います。
卒業学生は48人。23日に22人が日本料理、24日に10人が中国料理、25日に16人が西洋料理を、それぞれ、自分の得意とする分野で腕をふるいました。
作品は校内に終了後、丸1日、展示公開しました。展示が目的ですので、料理は食べません。
試験官であるホテルなどの講師調理長は、できあがった料理ばかりでなく、作業過程も厳しく採点します。
まず日本料理の完成度の高かった学生の作品を紹介します。
日本料理では天然物の鯛の姿造りと、より人参3つ以上が課題です。
鯛の皮がうまく引けていること。濃いピンク色に雲がかかったようにうっすらと白い皮目が残っているのがよい引き方です。造りの角がしっかり立っていることなどがポイント。
中国料理は伊勢エビの冷凍のものクリーム煮と、トマトの花切りが課題。
ぷりぷりとした伊勢エビに仕上げること、クリームの艶、トマトの繊細な切り具合と花形、伊勢エビを豪華に盛り付ける工夫など、これもなかなか奥深い料理です。
西洋料理は鴨ステーキオレンジソース・人参のシャトーのグラッセが課題。鴨の内部の焼き具合がほんのり「レア」であること、オレンジソースの煮詰め方や、色が適切であること。人参のシャトーの形がきれいになっていて、グラッセの艶、柔らかさなどが評価されます。
それぞれ課題に対して、他に2品献立を自分で考え、片付けもすべて含んで100分で仕上げなければなりません。課題料理と自由献立のバランスももちろん大切です。なお、この献立は、事前に試験官に提出しなければなりません。
2年間調理を学んだとしても、なかなかここまでたどり着くのには大変です。
生徒たちが無事作り終えたとき、2年前の幼い姿と重ね合わせ感慨ひとしおです。教師の醍醐味でもあります。
マジメな学生は冬休みに何度も何度も練習して頑張り、試験に臨んでいます。
さて料理が美味しく仕上がっても器やテーブルコーディネートがうまくいっていないと料理は完全とは言えません。
間際まで食器、ナイフフォーク、箸、テーブルクロスやマット選びに余念がない48人の卒業予定者たちでした。でも実は、彼らはまだ筆記による卒業試験が残っています。
私にとって、彼らのテーブルセッティング作業を手伝うのも、また、楽しいひとときでした。
東京や大阪にも調理師養成の専門学校が多々ありますが定員200人とか120人では、すべての学生がこれほどまで時間をかけて卒業実技試験はできないでしょう。
その点、少人数であれば、卒業まで行き届いた指導が可能です。しかし、施設設備は都会や私立の専門学校にはかなわないのが実情です。でも、日本で一番、費用をかけずに「調理師免許取得可能」な学校なのです。
関心のある方どうぞ、2次入試に、まだ間に合いますので知人にお知らせください。
大学卒もいれば、やり直し組の社会人、定年退職後入学した人も学んでいるユニークな機関です。
最後の写真は西洋料理の評価委員であるレストラン小西オーナーシェフから講評を受けている学生の写真です。
この季節はやはり「おでん」だ。だいこん、がんも、つくね、ばくだん、ロールキャベツと言うのも良い。でも、なんと言っても「かに面」である。
金沢の香林坊にあるティファニーの前の信号を渡って、ちょっと下ったところに「よし坊」というおでん屋がある。何年か前に、某国営テレビで、金沢のおでんとして「かに面」を紹介していたけど、金沢で、「かに面」を食べさせてくれるのは、私の知っている限りでは「よし坊」だけである。「かに面」は、金沢の郷土料理のような誤解を与えるような紹介はまずいと思っている。
まぁ?、理屈っぽい話は別にして、よし坊の奥さんの受け売りだけど、おでんの具には、味を吸う具と、味を出す具があって、この具のバランスが、その店の味。多分、そうだろうと思う。だから、奥さんに教えてもらった店の秘伝の作り方で、自分の家で「かに面」だけを作ってみたところで、やっぱり「よし坊」の味にはかなわない。
そういえば、店の奥さんが、先週、ミスター阪神タイガース掛布さんが、久し振りに店に寄ったとか。富山の高岡で講演会があったが、よし坊のおでんが食べたくて、金沢に宿を取った。ところが、よし坊の名前が思い出せなくて、太洋の加藤さんに電話して、店の名前を思い出したと、嬉しい話をしてくれたと。現役の頃、地方での試合の時に、二人でよくよし坊に来ていたようである。
携帯電話のストラップにするような、KAKEFUと書いてある小さい野球ボールをくれたので、サインをして頂戴と頼んだら、ペン先が太いのどうのと言いながらも、心よくサインしてくれたと言って、そのサインボールを見せてくれた。
その内、掛布さんの経営する店で、かに面を出すようになるかも知れない。でもやっぱり、かに面は「よし坊」。まねはできないと思う。
香箱カニで作る「かに面」が美味しいのだけど・・・。まぁ?、細かい事情は別にして、この時期でないと「かに面」は作れない。冬のこの時期に、来沢あれ。
富山に出張するときは、自分で車を運転していく事が多い。しかし今回は、事情があって高速バスで出張した。仕事が終わるのが夕方で、家に帰ってから食事をするにも中途半端ということもあって、同期のみんなに連絡してみた。私の身勝手な我侭に、4名のみんなが、付き合ってくれた。
富山駅北口のオーバードホール隣にあるカナルパークホテル富山の創作料理WAZAというレストランで、プチオフ会ということになった。
日頃のいろいろな情報交換というか、人生交換というか。そろそろ定年という話から、団塊の世代ってとか、孫の話とか、足の健康の話とか、重い話し、軽い話。いつものことならが玉石混合、話題に事欠かず、別れてみれば、なんだったか分らないけど、なんとなくすっきりした、そんな会になった。
このレストランは、昼食の時間帯には満席なことが多く、席が空くのを待って人が並んでいることも多い。しかし、昨晩は我々が貸切っているのではないかと思える程だった。
そもそも、富山駅北口の人通りそのものも少なかった。オーバードホールでコンサートがある時や忘年会とか新年会といったイベントが多い時期を除いて、夜の北口には人が集まる場所が少ないからかも知れない。