「刑事訴訟の仕組み」編集記: 2005年9月アーカイブ
asahi.comで「JR脱線「再現狙い」置石 求刑上回る懲役3年の判決」で、次のように報じている。
(中略)
遠藤裁判官は、被告に12犯の前科があり懲役刑を受けた期間が計29年2カ月に及ぶことから、再犯のおそれが否定できない点も考慮。「他の置き石事例との刑の均衡を意識しなければならない事案ではない」と結論づけた。
興味を持ったのは、事件そのものではなく、裁判官が求刑を上回る判決をした点である。
裁判の内容がどのようなものだったのか定かではないが、取り調べた検察官が求刑した量刑のどこを不当と考えたのだろうか。報道からすれば、「再犯の恐れがある」こと「他の置き石事例との刑の均衡を意識する必要はない」ということらしい。
確かに、今回の事件を裁くための法律が定める量刑が低すぎると言う事があるのかも知れないが、現行法の中で、検察官の求刑を覆すだけの理由とも言えないように思う。
検察官は、判決を不服として控訴するのだろうか。
「刑事訴訟の仕組み」の付録として、「主たる刑法犯罪及び特別刑法犯罪法定刑及び量刑分布 と、罪と罰(量刑の個別検討など) 」をダウンロードできるようにしてある。
さて、この量刑がいかに決められるかであるが、五右衛門さんが、「量刑の不均等、不統一と量刑の難しさ」で述べているように、統一基準はなさそうである。個々の裁判官の裁量に委ねられているのが量刑実務での現実のようである。
その中でも、検察官の求刑がかなり重要であり、検察官の裁量で、量刑が決まると言っても過言ではなさそうである。
裁判では、裁判官が被告人を裁く。しかし、裁判での量刑実務からすれば、量刑等を決めるのは検察官と言うのが、実態としては自然と言えそうである。
すなわち、裁判官は検察官の監視役と言った役回りと感じる。
いつか私たちが裁判員になった時の留意点でもある。
五右衛門さんの「批判的国家権力という本質を忘れた裁判所」が、参考になる。