ウイニー事件に思うの最近のブログ記事
今日、京都地裁で注目のウイニー裁判の判決があった。
Asahi.comに、その判決要旨が報道されていたので、特に目に付いた部分を引用する。
まず、被告の行為と認識として、
次に、幇助の成否として、
これらを利用して正犯者が匿名性に優れたファイル共有ソフトであると認識したことを一つの契機とし、公衆送信権侵害の各実行行為に及んだことが認められるのであるから、被告がソフトを公開して不特定多数の者が入手できるよう提供した行為は幇助犯を構成すると評価できる。
そして、量刑の理由として、
被告は、本件によって何らかの経済的利益を得ようとしていたものではなく、実際、ウィニーによって直接経済的利益を得たとも認められないこと、何らの前科もないことなど、被告に有利な事情もある。
さて、私は、法律の専門家ではないので、量刑が妥当なのかどうかについては良く分らない。しかし、裁判官の事実認識には違和感はなく、妥当なもののように思える。
一方、今回の判決に関して、毎日新聞のWeb版で法律の専門家は、次のようにコメントしている。しかし、技術者がなぜ萎縮することに繋がるのか理解できず、コメントの主旨がいま一つ理解できない。
私は、むしろ、今回の判決を受けて、社会のインフラとなる技術の開発に取り組む者は、単に技術のシーズだけに捉われ、技術至上主義に陥ってはならいと、警鐘をならしている判決と受け止めた。
ウイニーのような社会のインフラとなる技術を世に出す場合は、どのような手法で開発すべきか、法律家からの適切で実践的なアトバイスが望まれる。そして、法律面からそれに答えられる法律の専門家が必要とされているのだろうと思う。
今日のIT-PULUSで、NECソフトと野村総研が、ウィニー漏洩防ぐ製品と共同開発したと報じている。
この製品は、直接的にウイニーを遮断するというものではなく、ウイニーでファイルが流出しても、そのファイルが他のパソコンでは見れなくするというものである。
一つのアイディアであると思う。製品名は「Webコンテンツプロテクター AE」と「Webブラウザプロテクター AE」である。
今回の製品は、企業向けのようではあるが、これからも、ウイニーでの被害を防ぐ、いろんな知恵と技術に期待したい。
Net JAPANでウイニーに関して、「Winnyはどこまで危険か」2006/10/08 10:12 と報道されている。
現在、ウイニーがどのように利用されてるいのかを垣間見ることができる。記事によれば、ウイニーを利用しているのは40~45万人ということである。利用者は週末に多くなるようで、「ごく一般的なコンピュータユーザー、普通の社会人や学生が使っているのではないだろうか」ということである。
また、やりとりされているコンテンツは、地方では放映されていないマニアックなアニメが多いようだ。ただし、やりとりされるコンテンツは分散しており、問題となる音楽や映画、プログラムの著作権侵害の被害は実際には小さいのではないかとしているが、いずれにしても著作権を侵害するコンテンツが大部分のように思われる。
そして、ウイニーを経由しての情報漏洩の問題を取り上げている。ウイニー裁判とは直接的には関係のない問題ではあるが、12月の判決で、有罪であれ無罪であれ、Antinny対策は、大きく動くのではないかとしている。
記事では、「有罪判決の場合は第三者がAntinny対策に乗り出す可能性もある。」とある。無罪であれ有罪であれ、ぜひ、この方向で進んで欲しいと思っている。
注目しているウイニー裁判が結審してから、そろそろ一カ月になる。公判録と、結審後の報道を読み直して、ウイニー裁判を振り返った。
産経新聞の「改めて無罪を主張 ウィニー最終弁論」の報道によれば、弁護側は最終弁論で、「(ウイニーは)匿名性と効率性を両立した新しい技術の検証が開発目的であり、著作権侵害の意図はない」とし主張したと報じ、続けて
しかし、裁判録からは、検察官はソフト自体の違法性を問うているようには見えなかった。対して、弁護人は、法廷にパソコンを持ち込んで、ウイニーのシーズ(技術の種)の説明に力を入れていたように思う。
一方、開発目的は「匿名性と効率性を両立した新しい技術の検証」としている。しかしながら、検察官が問題としているのは、匿名性と効率性といったウイニーのシーズではなく、被告人が取った技術の検証の仕方ではなかっただろうか。
しかし、弁護人は、これに対する立証はほとんどせず、ウイニーのシーズの説明に力点を置いていたように思う。例えば、実験に参加してくれる人達への検証方法の説明や告知など、被告人の取った方法に、なんら問題ないことを説明し、検察官の主張に対して正面から反論するといったこともしていなかったよう(力点が置かれていない?)に思う。
また、「今回の起訴で、あらゆる技術者が不明確な幇助の可能性に萎縮(いしゅく)し、日本の技術革新への大きな足かせになっている」とする点に関して、技術者がいかに萎縮しているとか、日本の技術革新にどのように大きな足かせになっているか、証人も少なく、説得的な立証もされていなかったように思う。ただ、弁護人がそう思っているだけ程度にしか伝わっていないように思える。
次ぎに、INTERNET Watch で、弁護人が「警察に協力的すぎたのが問題だった」と主張している。これもまた変な話である。弁護人は何時そのことに気付いたというのだろうか。裁判が始まる前か、あるいは、裁判の最中か、はたまた、裁判が終わってからなのだろうか。そして、この認識に対して、公判の中で、どう対策し、反論してきたと言うのだろうか。
裁判の冒頭陳述では主張していないようであるし、公判の中で、被告人が「警察に協力的すぎている」と主張しているようにも思えない。なぜ今なのか、法廷外での唐突な主張に感じる。
最後に、裁判が始まるときに注目していた点に関して、弁護人の冒頭陳述での主張からすれば、ウイニーの社会での有用性を説得的に証明し、社会に組み込むときのバランスを評価し、被告人の行為の正当性を立証するものと思っていた。しかし、残念ながら弁護人は、立証できなかった(しなかった)ように思う。真実はそこにはなかったということであろう。
裁判官はどう見たのだろうか。いずれにしても、12月には判決がでる。
そしてもう一つ。 今回の裁判での弁護は、「誰の為の、何の為の弁護だったのだろうか」。最後までこの疑問が払拭できなかった。疑問の根底には、弁護人の次の主張がある。刑事弁護は、政治的主張をすることではないと思うのだが・・・。
ウイニー裁判での弁護人のブログに、被告人の意見陳述要旨が掲載されている。
ところで、最近、私がウイニー裁判が始まった頃に書いた記事「ウイニー事件で、p2p関連技術開発が萎縮しているのだろうか」に、ハスカップさんが、次のようにコメントされている。
ですが、悪用する奴が悪いと公言して(応援する人まで同様の言動をとる)は、世論の支持は得がたいのではないかと思います。被告人が極めて優秀な研究者であるだけに真に残念です。
しかしながら、社会に与えた影響を憂慮する一言があっても良いのではないだろうか。
被告人は意見陳述の最後で、「私の方でも新たしいアイディアを思いついています。ですが、それを実際に形にすることすらできません。私はそれが残念でなりません。」と記している。
これを読んで「困っているのなら、私のアイディアを形にできるようにすべきだ。」と、技術者としての力を誇示し、上から物を言っているように感じてしまう。(ぜひ、ご自身で、被告人の意見陳述要旨を読んで頂きたいと思う。)
社会との真摯な係わりを感じないのが残念である。社会のインフラとなるシステムの開発を任せても大丈夫なのだろうかと思ってしまう。
このように感じるのは私だけだろうか。
ウイニー裁判の担当弁護士が、一審の結審をふまえて、自身のプログで、次のように述べている。
どう解釈すればよいのだろうか。いろんな風に読めてしまう。
当該弁護士は、自身も著作権侵害に関する民事訴訟も抱えているようなので、著作権法が変わるべきという考えは、本音のようである。
しかしながら、何よりも問題なのは、件の発言が、誰の為の弁護活動なのだろうかという疑念を抱かせてしまうところにある。
自身が弁護人として担当している刑事裁判に関する発言としては、本音とは言え、不用意過ぎる発言と思うのは私だけだろうか。
例えば、
(1) コンテンツビジネスや著作権法を変えるために、ウイニー裁判を通して(利用して)弁護士自身の考えを、裁判(公の場)で主張していた。
(2) だから、検察官が幇助だと言っているのに対して、ウイニー技術の優位性を主張して、現在の著作権法を骨抜きにしようと考えている。
という、うがった見方さえできる。
釈迦に説法、法律に門外漢な私ではある。内心の自由など難しいことは分らないが、刑事裁判は、政治の場、立法の場ではないはず。誰の為の弁護士(弁護活動)なのだろうかと、素人ながら、そんな風に思ってしまう。
INTERNET Watchの記事に「IIJ、Winnyを応用したP2P型コンテンツ配信「SkeedCast」を本格展開へ」で、新しいコンテンツ配信方式で、コンテンツを配信するといった記事が掲載されている。
その特徴は
このサービスは、前の記事「P2P技術を用いたファイル共有機能「AllPeers」」で書いたような、個人間でファイルを共有するというものではなく、あくまで、コンテンツの発信者と受信者がいるコンテンツの「配信」である。その配信システムのインフラ技術としてウイニーの技術を利用するというものである。
さて、ウイニー裁判などで、ウイニーが語られる場合、ウイニーはファイル共有ソフトとして語られることが多い。しかし、ウイニーの機能からすれば、「共有」というよりも「配信」あるいは「放流」という言葉がぴったりくるように思う。すなわち、ウイニーは、ファイル配信ソフト、あるいは、ファイル放流ソフトと言った方が、機能なり開発コンセプトに馴染むように思う。
ウイニーは、個人のコンテンツを公のコンテンツ(誰でも使えるコンテンツ)として配信するソフトと言えるのではないだろうか。
ウイニーは、技術面からはpeer-to-peerソフトであり、機能面からはpersonal-to-publicソフトと言えるように思う。
蛇足ではあるが、今回のウイニー裁判で、検察官は、ウイニーの技術、すなわちP2P技術を違法であるとして問題にしているとは思えない。その技術を使ってした行為を問題にしていると思う。
五右衛門さんの「IT技術者のためのデジタル犯罪論」の中で言うプラスアルファの部分であろうと思う。今回の二つの記事は、このプラスアルファを理解し整理する上で、一つの手がかりになるのではないかと思い、感じたことをまとめた。