ホワイトカラー・エクゼンプション
最近話題のホワイトカラー・エクゼンプション(日本語では、「事務職労働時間規制適用免除制度」とでも言えばよいのだろうか。)について考えた。
この制度は、労働を、働いた時間数ではなく、成果で評価してくれる制度ということで、労働者に取ってみても有難い制度のように映る。しかし、よく考えてみれば、賃金コストを抑えるための制度と見る方が良さそうである。
この制度で、事務職の収入が多くなるかといえば、極一部の人の収入が多くなるかも知れない。しかし、全体で見れば、賃金を抑える効果の方が大きいと思われる。
すなわち、仕事の効率を労働者の裁量に任せるということであり、健康管理など面倒なことは全て労働者に押し付ける制度のように思える。
結局のところ、この制度の中で、競争社会に置かれる多くの事務職は、自分の全ての時間を、仕事に使わざるを得ないことになる。
最近は、パソコンを始めとしたモバイル用の事務機器や、それらを繋げる通信回線も、個人で簡単に使える環境になってきている。会社であれ、自宅であれ、移動中の車の中であれ、バカンスで温泉に浸かりながら、これら機器を使って仕事をすることになる。これが、極々当たり前の仕事のやり方となっていくだろうし、そういった働き方を要求されることになる。
このように仕事とプラベートの区別が見えづらい中で、他者と競争しないといけないとすれば、当然の帰結として、仕事に明け暮れることになる。それでも、収入が増えれば多少は救われる。しかし、そう単純な話ではないだろう。きっと、公私の区別なく仕事ができない人が弾き出されて収入が下がるだけで、多くの人の収入が増えることには繋がらないだろう。
このホワイトカラー・エクゼンプションという制度は、米国からの要求によるものらしい。日本社会が、グローバル化に対応するために、必要な制度であると言う人もいる。
しかしながら、労働者に、こういった環境で仕事をさせることが、日本社会の国際競争力を高めることに繋がるのかどうか。もっと議論し、見極める必要があるように思う。
この制度が、日本社会を不安定にし、危うくすることにならないかと、不安が募る。我々の世代にとって、米国はあこがれの国であったのは確かである。しかし、根っ子のところで、「米国は米国。日本は日本。」と言う気持ちも強かった。小泉政権以来、グローバル化の名の下に、郵政民営化を始め、全てを米国風にと言われているようでもあり、気に食わないと言った思いもある。
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