技術と社会の狭間
ウイニー裁判での弁護人のブログに、被告人の意見陳述要旨が掲載されている。
ところで、最近、私がウイニー裁判が始まった頃に書いた記事「ウイニー事件で、p2p関連技術開発が萎縮しているのだろうか」に、ハスカップさんが、次のようにコメントされている。
確かに技術や学問は中立的価値観ですが、それでも犯罪幇助の片鱗すらなかったダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルは、その後に自分の技術が戦争に悪用されたことについて悪夢にうなされました。学者の良心でしょう。
ですが、悪用する奴が悪いと公言して(応援する人まで同様の言動をとる)は、世論の支持は得がたいのではないかと思います。被告人が極めて優秀な研究者であるだけに真に残念です。
ウイニーは、社会に大きな影響を与えたことは確かである。だからと言って、技術者・研究者として、提供した技術そのものに対して、反省すべきとは言わない。むしろ優秀な技術であり賞賛されてもしかるべきと思う。ですが、悪用する奴が悪いと公言して(応援する人まで同様の言動をとる)は、世論の支持は得がたいのではないかと思います。被告人が極めて優秀な研究者であるだけに真に残念です。
しかしながら、社会に与えた影響を憂慮する一言があっても良いのではないだろうか。
被告人は意見陳述の最後で、「私の方でも新たしいアイディアを思いついています。ですが、それを実際に形にすることすらできません。私はそれが残念でなりません。」と記している。
これを読んで「困っているのなら、私のアイディアを形にできるようにすべきだ。」と、技術者としての力を誇示し、上から物を言っているように感じてしまう。(ぜひ、ご自身で、被告人の意見陳述要旨を読んで頂きたいと思う。)
社会との真摯な係わりを感じないのが残念である。社会のインフラとなるシステムの開発を任せても大丈夫なのだろうかと思ってしまう。
このように感じるのは私だけだろうか。
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