ウイニー技術のシーズとニーズ

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 ウイニー裁判も佳境に差し掛かっているようである。

私は、以前(2004年11月17日)「ウイニー事件で、p2p関連技術開発が萎縮しているのだろうか」で、次のように書いた。

 一方、弁護人の冒頭陳述での主張からすれば、弁護人は、ウイニーの社会での有用性を説得的に証明し、社会に組み込むときのバランスを評価し、被告人の行為の正当性を立証するものと思う。弁護人の見識の深さが問われる裁判になるのではないだろうか。今回の裁判の注目点でもある。一般的に、弁護側の立証は、検察官の立証が終わった後になるようである。だとすれば、公判の進み具合からすると、まだまだ先になるようだ。

 それから既に一年以上が経過し、公判も21回を数えている。19回目からは、被告人が証人として証言台に立ち、弁護側の主張の立証がされている。裁判も佳境に差し掛かっていると言えそうである。

 さて、弁護人は、どのように、「ウイニーの社会での有用性を説得的に証明し、社会に組み込むときのバランスを評価し、被告人の行為の正当性を立証」しているのであろうか。傍聴録を追った。

 ウイニー裁判の第20回公判では、弁護側の証人である大学教授が証言台に立っている。私は、冒頭で引用した記事でも言ったように、弁護人のウイニーの社会的有用性の立証に期待していた。
 しかしながら、期待した立証はされなかったように思う。
 弁護人は、法廷にパソコンを持ち込んで、ウイニーの機能を説明したり、ウイニーのシーズ(技術の種)を説明している。確かに、シーズとしての有用性は、それなりに立証されているように思う。しかし、ウイニーに対する社会からのニーズ、社会的有用性についての立証がなされていなかったのではないか。

 また、弁護側の証人として証言台に立った大学教授は、検察官の質問に対しいて「(ウイニーは)実験で2、3回使った」と答え、その後、利用したことがあるかとの質問に、「使っていない」としている。そして、その理由として「必要がないから」と証言している。私としては、なぜ、必要ないと思い、使わないのかが知りたかった。しかし、残念ながら明確には語られていない。
 なお、当該大学では、被告人が逮捕される以前から、著作権団体からの要請で、ウイニーの利用規制をしているようである。規制の理由は、著作権侵害に利用される恐れがあるといった認識からのようである。
 当該大学では、ウイニーの社会的有用性を認め、学内の情報共有に大いに活用できるツールとは考えてはいないといった印象を受けた。もし、学内の情報共有に有用なツールとして有用性を認めているのであれば、規制などはしいないと思われる。

 今回の裁判の冒頭陳述で、検察官は、被告人は著作権侵害を幇助したと主張している。対して、弁護人は、ウイニーの有用性を主張し、逮捕の不当性を立証しようとしている。私は、この弁護人の言う立証のためには、ウイニーのシーズ(技術の種)の有用性の立証ではなく、社会からのニーズ、社会での有用性を立証すべきであろうと考えている。

 さて、今回の公判での被告人の証言全般から、被告人は、ウイニーの利用者は、ウイニーを著作権侵害のツールとして使っているということは認識していたと思われる。また、被告人の証言から推察するに、被告人は、ウイニーが社会に与える影響(著作権法に与える影響)については十分認識していたようように思われる。にも係わらず、自分の思いついたアイディアを実証したいとの思いから、実社会を実験台にして、ウイニーを開発していたことになる。すぐれた技術とは言え、このような開発手法には、大変な違和感を覚える。

 第12回公判で、ウイニー事件の正犯は「ウイニーがなければ、アップロードはやっていない(著作権侵害行為はしなかった)」とし、「こういうシステム(ウイニー)自体なくなった方がよい」と証言している。

 一方、被告人は、自分はプログラムを作る人で、使う人は自己責任で使っているのだと主張している。第17回公判の中でも、弁護人の問いに対して、「ソフトウエアの開発は中立なのであって、幇助となることは足枷である。私としては許すことができない。」と証言している。もっともな考えのようにも映る。
 しかしながら、自分が研究開発のために提供するプログラムによって、社会の多くの人が、法律違反を犯す恐れがあることを知りながら、あるいは、それを使って法律違反を犯していると知りながら、その人達を利用して、自分のアイディアを実験、開発するといった行為は、法的にどうであれ、技術者としては慎むべきことではなかろうか。
 こういった行為が法的に言う「幇助」になるのか「教唆」になるのか、あるいは法的にはなんら問題ないことなのかは別にしてである。

 技術者は、技術のシーズ(技術の種)だけに目をとらわれてはいけないだろう。特に、社会の基盤となる技術の研究開発に携わる者は、シーズ至上主義に陥ることなく、その技術が社会に与える影響を考慮し、意識して研究開発することを忘れないで欲しいと強く思う。

 弁護人は、ウイニーの技術は社会の基盤となる技術と主張するのであれば、ウイニーのシーズ(技術の種)の有用性ではなく、社会からのニーズ、社会的有用性を説得的に立証すべきであろう。

 これが、今までのウイニー裁判の傍聴録を読んでの、私の感想である。

 最後に、この記事を書くに際して、「【情トラ】附゛録゛」のウイニー公判傍聴録を参考にさせていただいた。傍聴録の公開に大変感謝している。大変なご苦労と思う。ご紹介し、お礼申し上げる。

【情トラ】附゛録゛
  http://d.hatena.ne.jp/joho_triangle/


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このページは、弁天小僧が2006年4月 5日 12:44に書いたブログ記事です。

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