小倉さんの言う「実名」とは?
小倉さんは、私のように匿名でブログを作り、他の人のブログなどに、コメントしたり、トラックバックしたりする者を「卑怯者」と評価しているようである。
それに対して、何をもって「実名」とするのか突っ込みのコメントをしたことがある。その問いに対して、とある複数のMLで「グーグルなどの検索エンジンで検索すれば分かる」と言った主旨の回答をされているようである。小倉さんは、「実名」すなわち、個々人の認証を、そういったいい加減なもので事足りると考えているようである。
小倉さんは、匿名を使う者に対して、「匿名の陰に隠れた卑怯者たち」とも表現されている。しかし、「匿名」にはもともと「陰の名」といった意味合いもあるわけだから、「匿名を使う卑怯者たち」とでも言っていただいた方が分かり易い。どうしても「陰に隠れた」という言葉を使いたいのであれば、「実名の陰に隠れた卑怯者たち」と表現された方がビッタリくるのではないだろうか。
ところで、小倉さんのブログの記事にある「匿名」を「実名」に変えて読むと、なぜか、すんなりと読めてしまうのが不思議でもある。
また、将来、IPv6の時代になったら、個々人に割り振られたIPアドレスで、個人情報や財産が全て把握できてしまうとか、日々の個人の動き、行動が捕捉できてしまうといった事態にもなりかねない。それを是とするのであれば、話は別だが、そういった事態に問題意識を持つのであれば、ステルス機能(私の造語)を、技術的な面から、法的な面から、真剣に検討しないといけないといった場面も想像される。
小倉さんには、極々、近い将来に起こるであろう問題を視野に入れ、多面的にご考察いただければと思うのだが・・・。無理なのだろうか?
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1、(研究者を目指す諸君に最初にいいたいことは)行き当たりばったりの評論家気取りは,前後矛盾したコメントを同じTV番組の中でシレっと言って,その点を指摘されても,黙殺して誤魔化すか,認識の違い(誤読)で逃げたりします。それが法学研究にも通用すると勘違いしている人がいます。
2、しかし,法学の体系的思考とは,当為法則を積み重ねることですから,長期の思考過程を必要とします。しがって,四六時中画面をみて独特の操作を繰り返すようなヒマなことはできないですし,研究本業に特化しないと,そのような思考過程を経ることは困難と思います。ときどき「普通に法学部出てればこれくらいは簡単だ」との論旨を言う方がいますが,それは研究活動の無経験からくる誤解で,論旨は理由がありません。
3、また,多角的検討ほど研究者の視野や性格・人格に左右される検討過程は他になく,研究者適性が最も問われるところであります。視野の狭い人には研究者になって欲しくないです。
以上の1~3の説明を受けたので,小生は誘われた大学院進学を断念し,現在の現業へと進みました。弁天小僧さんのエントリーを読んで思い出した遠い青春のひとコマでした。
こんばんわ
まともに相手してたら本当に疲れるね(^▽^;)
土日はゆっくり寝ようかな~。。。
僭越ですが,小倉弁護士先生のテキストを総合し,相互矛盾の記述部分をカットしていくと,どうも小倉弁護士先生は
匿名の要件:実名意外の名称(コテハンや略称を含む)
と考えられているようであり,匿名で暴かれるべきなのは
匿名の効果:フルネームの実名と現住所
との模様です(他の定義や要件・効果を規定すると,先生が以前に沢山書いたテキストとどこかで矛盾が生じてしまう)。
この理論に基づくと,NOT{匿名}="実名"となりますから,ここから導かれる「実名の要件」とは
フルネームの実名と現住所
を常に表示すべきという結論になります。
確かにおっしゃる通りですね。私も、小倉さんのイメージする実名というのは、その程度のラフな実名(?)なんだろうと思います。しかし、「匿名」を「実名」の対極に置いて、「匿名を使う人を卑怯者」と批判するには、あまりにもいい加減すぎると思います。ましてや、弁護士という法律の実務家という看板を背負った人の主張とは誰も思わない(思えない)というか、そういったことを主張する「小倉秀夫」は匿名ではないかと思われてしまうところが、小倉さんの主張の悲劇でしょうね。
難しい話はわからない人なので参加できないのですが「匿名の小倉秀夫様」「グーグル」「釣り」についてだけ....
http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/20041125
http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/20041130
このころと何も変わってないなぁ.....と思います。
ただ、指摘の仕方がどんどん「相互の配慮の余裕がなくなる方向」に進んでいるだけだとおもいます。