ハイテクとローテク
少し取り留めの無い話になってしまうが・・・
文書等をデジタル化して保存するというのは、紙で保存するのに比べて、情報が劣化することもなく、取扱も便利で、保存には優れた方法と思いがちだ。
私も、いままで長くコンピュータに係わってきたが、過去を振り返った時、デジタル化したものは殆ど手元にない。手元にあるのはデジタル化したものを紙に印刷したものだけということに気付く。
記録媒体も目まぐるしく変ってきてきた。ほんの10年前にワープロで作ったFDが手元に何枚かある。しかし、いまや簡単に中身を見ることができない。
多分、多くの企業でも、多くの書類が、今は見ることすらできない媒体の中に入ったまま埃まみれになって眠っているか、人知れず捨てられてしまっているのではないだろうか。(紙の書類と違って、書いてあることが、簡単に整理する人の目に止まるといったことがないので、掘り出されるといったことも期待薄)
多分このことは、過去がそうだったということではなくて、現在作成して保存しているデジィタル資料の多くも、10年後には、同じ運命になっているのではないかと想像してしまう。
デジタル書類はハイテクと言ってみたところで、ワープロなどで文書を作り始めて、たかだか30年にもならないだろう。4000年の歴史ある紙というローテクには到底かなわない。
先端技術とはなんだろうと、よく友人と話すことがある。人工知能にしろなんにしろ、私達がコンピュータで実現しようとしたものを顧みると、あることに気付く。
「私達の身の回りの人の営みをモデルにデジタル化を考えている。」
のではないかと、そんな気がする。
例えば、紙の機能を模擬して、電子紙を考えている。言い様によっては、最先端は「紙」であり、それを模擬し、近づこうとするローテクが電子紙とも言える。
「ハイテク」と言う言葉に、「最先端の技術」という言葉に、「便利さ」という言葉にまどわされることなく、ちょっと屁理屈的とは思いながらも、それぞれの本質はなにかを、哲学するしかないかと・・・
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http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/searchdiary?word=%c5%c5%bb%d2%bd%d0%c8%c7%ca%aa
に書いたように、アルファベットの世界ではすでに利用には電子化、紙は保存用という段階に変化しつつあると思われます。
東アジアの多文字文化圏はユニコードの中途半端な仕様の元でこれに追いつくのは困難で、ペンで訂正できる紙の世界が支配的ですが。
で、急速に電子化したアルファベット社会でも、保存はやっぱり紙です。