ポリシーガイドライン

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特に、社会的インフラとなるプログラムの研究なり実験となれば、そのプログラムを、なんのために作るのか、なんの目的で実験するのか、その開発なり研究の目的なりのポリシーを明確にしておくことが大切なのではないかと思う。
今回のウイニー裁判を分かりにくくしているのは、被告人の研究者からウイニーを作った目的なり、研究の目的なりに対するポリシーが伝わってこないことにあると思っている。
社会のインフラとして使われるであろうと予想されるプログラムを、社会のインフラを実験場として、不特定多数の人を実験台にして実験(研究)するのであれば、少なくとも研究者は社会に与える影響を想像して欲しいと思うし、想像できる人にやって欲しいと思う。
ウイニー裁判での被告弁護人の主張を聞いていると、単に道具を提供しただけで、社会的影響などは想像もしていなかったと、自ら社会的影響を想像する能力が無かったことを告白しているように聞こえる。本当だろうか。
 もし社会的影響に対してなんの配慮もせずにやった行為であり、その主張が認められて今回の裁判に勝利したとしても、そういった想像力に欠ける研究者に、社会的インフラに供するプログラムの研究あるいは開発をお願いしたいと思う人や企業、研究機関があるだろうか。あたら能力のある研究者の活躍の場が狭められるのではないかと思う。
ウイニー開発者は、ウイニーを作った目的を真摯に主張し、反省すべき点があれば反省することが、社会に対する貢献でもあるし、過ちを転じて福とすることではないだろうか。(もちろん、研究者のポリシーに過ちがあったとした場合だが。)
ウイニーを作ったポリシーを、実験場や実験台とした社会なり、不特定多数の人に対して、しっかりと説明してくれれば、その主旨に対して多くの人から賛同を得られるところも多いのではないだろうか。そして、こうすることこそが「表に出る」ことに繋がるのではないと思っている。
そして、今回の事件を通して思うことは、特に社会的影響が大きいプログラムを研究あるいは開発するに際しては、プログラムそれぞれについて、作る目的なり研究開発のポリシーを明確にした「ポリシーガイドライン」を作って置くことが、後のトラブルに際しても重要であろうと思う。たとえ明文化しないとしても、常に念頭に置いて、意識して作業し、必要なときにはそれを主張することが肝要ではないかと思う。
また、ポリシーガイドラインをどう作るとか、そこにどういった項目を含めるべきかなどに関しては、権力側が明確にすべきとか、法律で定められてないからということではなくて、技術者みずからの英知で、技術者みずからの主張で、作られていくものだと思う。
そして、自らがポリシーガイドラインを考えることが、コンピュータプログラムの技術開発なり研究を萎縮させることに繋がるとも思えない。

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このページは、弁天小僧が2004年9月25日 10:59に書いたブログ記事です。

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